ことりのかけら

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戦争での残留孤児について思うこと~泣かない母が泣いた日~

昨日のテレビ番組「世界の村で発見!こんなところに日本人 」で、ロシアに在住の残留孤児ニーナ・ポリャンスカヤさん(約70歳)の話を放送していました。

ニーナさんは、終戦直後の旧満州ソ連兵に救出されて、ロシアで暮らし続けています。育ての親は、事情があり一緒に住めなくなり、児童施設で生活していたそうです。

中国以外で初めて残留日本人孤児として認められ、肉親捜しをしたけれど肉親は見つかっていません。
戦争の時にうけた怪我のために、体調がずっと悪く、友達助けを借りて生活しているそうです。

番組を通じて、何か手掛かりになればとインタビューに答えていました。
ニーナさんに、新しい情報がありますように、と願います。 

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私が小学生だった、1981年。
中国残留孤児の一行が初めて肉親を捜しに日本を訪れました。

毎日、「誰と誰が涙の再会!」のようなニュースが流れました。

その期間、母はニュースに釘付けで、毎日祈るように見ていました。私も弟も妹も、そんな母につられるように、テレビの画面を見ていました。

実は、母にとって残留孤児のみなさんの身の上は、他人ごとではありませんでした。

「自分のこと」と同じでした。

母の父親(私の祖父)は満州で警察学校の教師をしていて、母は満州で生まれました。 

戦争が終わって、みなが日本にひきあげていきます。 

祖父は戦死したため、女と幼子だけで、日本に向かう汽車に乗ろうとしていたそうです。

満州の状況が悪くなる、汽車もこなくなる(?)ため、これが最後のチャンスかもしれないというときだったのに、汽車には乗れない。 順番は来ない。

(どうしよう、これからどうなるのか。。。)と落胆していたその時、幼子だった母が泣きわめきました。
(普段はおとなしく、泣いて大人を困らせたことなど全くない子だったようです)
なんどなだめても、だめ、泣き止みません。

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大きな声で泣き叫び続ける子をみて、汽車に乗る人たちを選別していた兵隊がやってきました。

「おとなしくさせなさい!!!」と注意しました。

(私の祖母)が、言いました。

「泣いているこの子を見てください。祖国日本に、こんなに帰りたがっているのです!!!」

「よし、じゃあ、乗れ!」

女3名(祖母と大叔母2人)、子ども2名(母と伯父)は、追加で汽車に乗せてもらったのだそうです。


そして、戦後70年、私は日本で暮らすことができています。

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