ことりのかけら

気づいたことや帰国生・凸凹発達の教育情報を発信中。保護犬ピエルの話も時々。

自宅で看取るホームホスピス~家族の一人として~

f:id:korasophie:20170626161713j:plain

病院でなく、自宅で静かな日々を過ごすという選択をした方たちのことをよく報道で耳にしますね。 

個人でそれぞれ、いろいろな考えで決めた選択だと思います。

私の母も、最後は自宅でホームホスピスで過ごしました。 

10年以上前の話です。場所は日本ではなく、海外です。(ですので、今の日本の状況とは違いがあるかとおもいます。)

 

もともと母は、病院というか医療(西洋医療)に懐疑的で、私が幼少のころから病院での治療を信用しないタイプの人でした。

ですので、「絶対に病院で治療は受けたくない」「抗がん剤なんてもってのほか、手術もしない」と言っていました。私たち家族は、またお母さんの病院嫌い話がはじまったと思って聞いていました。その時は、「もし、病気になったら」という仮定のはなしでしたので。

そして、母は命を奪うタイプの病気にかかりました。有名人の方の訃報でもよく目にする病気です。そうなったときも、母の主張は変わりませんでした。母が信じていたのは、代替医療だけでした。

母の調子が悪くなるにつれて、父が何度も「病院に行って治療を受けてほしい」と懇願しましたが結局無理だったようです。

え? 子供はお母さんの心配しないの? 病院に言ってって言わないの?と思いますよね。

実は母は、自分の病気のことを隠していました。亡くなる直前は体力もなくなって動けませんでしたが、それまでは家事もできていました。私たち子どもは、母がかなり悪くなるまで病気のことを知らされていなかったのです。

(家族が病気になったときも病院にいかなかったの?と疑問を持たれるかもしれませんが、 父や私たち子どもが病気になったときには、病院にかかっています。)

先ほど書いたように、両親は海外で生活していました。私は、日本に日本に住んでいました。弟妹も、実家に帰るのに数時間かかる場所で生活していました。

 

闘病生活の中で2度ほど入院をしたことがあるのですが、どちらも「状況的に有無を言わせずそうなってしまった」場合のみでした。具体的には、母の様子をみて父が思わず救急車を呼んでしまった、とかそういう類の状況です。 

入院中しても母は「はやく退院させてください」と言い続け、治療途中で帰宅しています。

 

先ほど2度入院したと書きましたが、その2回目の時に、病院から「ホームホスピス」を紹介されたのです。 医療関係者が、母がもう長くないと知ったからでしょう。

ちょうど、父と二人での自宅での生活も大変になってきたときだったらしく、母はホームホスピスを受け入れました。 この時、家には両親のみが住んでいました。

週に数回、スタッフ(ほとんどは看護婦さん)が母を診に来てくれました。処置をしたり、体調をチェックしたり。精神的なサポートとして母にも父にもカウンセラー的な人がついていました。 中心は、「痛みを減らして平穏に過ごせる状態」を作りあげることでした。

スタッフがいない時間はすべて父が介護していましたので、西洋医療の痛み止めを使うことは母の本意ではありませんでしたが、母から痛みがひいて、父は楽になったと思います。

 

 

ある日、ホームホスピスの方からの「もうご家族に連絡した方がいいのでは?」と助言がありました。そして、私もきょうだいも初めて実家がホームホスピスとなった事実をしり、実家に行くことになったのでした。

 

自分の意志で、病院から自宅へ帰った母は、「やっぱり家がいい。よかった家に帰ってこられて。」と何度も言っていました。

父は、最終的に母の望み通りにするのが自分の仕事だ、と考えたようです。

私は、複雑でした。これまで初期に積極的治療をやってきていないことが気にかかりました。でも、すでに末期になっているのだから、それを言い出してもどうにもなりません。 

それでも母は最後まで、「家にいられてよかった。ありがとう。」と言い続けていました。

ホームホスピスの方が、看取るときのことも、あらかじめ父に説明をしていました。いただいた用紙には、「こんな様子があれば、今はこんな時期です」ということが書かれてありました。

ですので、「食べるのが減ってきている」とか「眠る時間が長くなっな」とか「排泄がすくなくなった」とか感じるたびに少し心の準備ができていくという感じだったと思います。

そして、母は自宅で息をひきとりました。

 

これが、私の知るホームホスピスです。

海外での出来事ですし、もう10年以上前の話なので、今の日本のホームホスピスとはいろいろと違うでしょう。

私がわかるのは、母が納得して「家でよかった」と思って亡くなったことと、父が「母の希望通りにしてやれてよかった」と思っていることです。

 

korasophie.hatenablog.com

korasophie.hatenablog.com

「辛い飴がやめられない」ことの理由を調べたら悩ましかった話です。

最近、家族から「度がすぎる」と注意されていることがあります。

飴です。

f:id:korasophie:20170603203422j:plain

飴の舐めすぎ。

というより、飴のかみ砕きすぎ、です。

私が食べすぎる飴は甘ーいものではなく、辛く刺激の強いものに限ります。

私、以前こんな記事(下)を書いていました。

とにかく、辛い美味しい飴を、さがしてさまよっている私。 

korasophie.hatenablog.com

 

はじめのうちは、飴を少しずつ消費していたと記憶しているのですが、いつの頃からか、一袋なんてあっという間になくなってしまうようになりました。

美味しいからなあ。なんてのんきなことを考えていたのですが、「辛いと言ったからって、飴は糖分。 ほどほどにしないといけないな」と思い始めました。

そして、その頃から、

「ホントに、飴食べ過ぎだから、やめなさいっ!!」と家族に言われるようになりました。 

 

「舐めるんじゃなく、噛んでるよ! それは、本来の飴の楽しみ方じゃない!」と。

 

飴がなくなると、そわそわしてしまうんです。「飴がほしい」と心が叫ぶのです。

 

これって、危ないですよね?????

うん、危ない。

依存症かも。 

あめ中毒かも。

 

調べると、やっぱり。 世の中には同じような人たちがいました。

私のようなニッキ飴、しょうが飴依存症は見つけられませんでしたが、ハッカ飴がやめられない、ミントタブレットがやめられない、、、いました。

そして、気になる記述が!!!

これは、異食症の1つかもしれないということ。

異食症とは、氷をかじるのが止まらなかったり、元来食べ物ではないものを食べたりする症状。

そういう症状の人たちの中に、「貧血」(鉄欠乏性貧血)の人がいるとのこと。

実は、私貧血だと病院で言われていて、原因を調べたり貧血の薬をもらったりしているんです。

うーん。 からい飴をガリガリ噛みたくて、一袋をあっという間に食べてしまうのは、

「飴が大好き」ということだけで、簡単に片付けられないかもしれないです。。。

 

korasophie.hatenablog.com

始まりは午後7時のピンポーン~PTA本部役員をした1年間を振り返る~

f:id:korasophie:20170602215333j:plain

秋も深まってきたある夜、ピンポーンとインターフォン。(画責:ひな介)

女の人たちが5人ぐらい門のところに立っています。

「こんばんは。 あおぞら中学の選挙管理委員(PTAの役員で次期の役員選出を役目とする保護者)のものです。」

ん? これは、いけない雰囲気か…

「ことりさんが、来年度のPTA本部役員にふさわしいのではないかということで、うかがいました。 『誰にお願いするか』という話し合いの中で一番最初に出てきたのがことりさんのお名前でした。」

へ? ……。

私は丁寧にお伝えしました。

・仕事をしているので時間が取れないこと。

・本部役員になるようなタイプではないこと。

・他に適任者がいると思う、こと。

 

「わかりました。 また、来ます。考えておいてくださいね」

 

1週間後、ピンポーン。ーーー断る私。

 

そのまた1週間後。ーーーできないと説明する私。

 

毎週来られても嫌なので、私はこう提案しました。

「もう一度考えて答えを出します。毎週来てもらってはわるいので、電話かメールで返事をさせてください。」

 

すると、

「いえいえ、電話などではなく、何度でもここにきて答えをいただきます。」との返事。

すごく、断りにくいんですけど。

(この間、別の人たちに何回もアタックして、NOという返事をもらっている選挙管理委員の人たち)

 

いろいろ考えました。

私の名前を推薦した人が誰かもわかりました。以前役員をしたことがあるママ友で私の仕事のことを知っていて、「ことりさんなら、できる!」と推薦したよ~とニッコリと言われました。

なんで、そんなことを……。(脱力)

このママ友。以前本部役員をして、忙しかったけど楽しかったようなんです。

悪気は全くなかったみたいでした。(ため息)

 

私も再考してみました。

息子のひな介も学校の先生にかなりお世話になっているし、役員の仕事はみんなで協力してするって言っているし。

なにより、毎週、ピンポーンされるのも嫌だ。

よし、やってみることにしようか。

この時、私には上に書いたきれいな理由の他に、もっと腹黒い理由もありました。

学校にいけば、先生に合う。先生に合えば息子の様子も聞けるし、先生に直々に「よろしくお願いします」を言えるし、気になるところを伝えればそのフィードバックをがあるに違いない。息子の成績も間接的に上がるかも。PTA役員をする役得もきっとあるに違いない。

こうして、私の1年間(前後の引継ぎ期間をいれると14か月)のPTA本部役員生活が始まりました。

どうだったと思いますか?(これは私の目からみた役員の1年です。読者さんの学校では全く違うかもしれませんので、「役員する/しない」の参考にはしないでくださいね。)

もうね、これは(特に私の役は)無償ボランティアの枠を超えてました。こんなに時間を取られて、仕事の休みの日を毎回PTA活動に取られて、つらかった。

一緒に役員をした役員仲間は?

これはね。ホントいい人たちでした。そこがネックになることもあると聞きますので、この点私は恵まれてました。雰囲気も良くて、子育ての相談とかもできて、いい出会いだったなと思っています。

それでは、PTAの役員の仕事はどうだったのか?

でも、PTAの本部役員の仕事は、、、多すぎるし、やる意味がわからんし、なんでもかんでも「子どものため」ってそれの一体どこらへんが子どものためなの?と思えちゃうし、疲れた。。。 カレンダーを見て、「3月まであと〇ヶ月」ってカウントダウンする日々でした。 

そうそう、ことりさん、腹黒い理由もあったでしょ?

「先生方と学校で雑談することで、子どもの学校生活の充実と成績向上につなげる」

このことですか?

実際はね。 

殆どできませんでした。 やろうと思ったらできたと思います。

先生たち、職員室にいますからね。そしてPTAの仕事って職員室抜きには語れませんから。

問題はね。私の性格でした。

基本的に、シャイなんです。

「あの~先生~! ひな介の母です。いつもお世話になってます。ひな介は最近数学の授業どうでしょうか? ちゃんとできていますでしょうか?」

なんてセリフ、私の口から出てこないんです。

せいぜい、うつむきがちに、会釈する程度で、、、。先生から、話しかけてくだされば、もちろん話をしましたけれど。

 

そんなんでは、息子の学校生活向上にはつながりませんでした。

(先生との面談が必要なときは、別の日に連絡して時間を作っていただきました。PTAのおかげで話せた、っていうことは残念ながら、あまりなかったです。)

 

私が職員室にいようがいまいが、違いはなかったということですね。(遠い目)

 

新学年が始まって、日本の殆どの学校で、新しい本部役員さんが選ばれ活動されていることでしょう。 みなさん、体を壊されませんように……。

不必要な業務が削除され、時間を有効に使うことができる活動になりますように……。

 

korasophie.hatenablog.com

korasophie.hatenablog.com